Day 344:セルアウト問題

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相変わらず一日はあっという間に終わってしまったけれど、夜、もうすぐツアーが始まるGang Gang Danceの公開リハーサルを見に行った。会場は某アーティストのスタジオ、昔よくいってたDIYのショーみたいなノリでなんだか楽しかった。こういうことが起きるとニューヨークはまだまだ悪くないと思う。何時間かストレスから開放された。

複数の自分プロジェクトの準備をしながら、新連載が始まるところでもあり、それに加えていわゆる雇われ仕事ももちろん抱えていて、再びキャパオーバー気味になっている自分を発見する。もっとのんびりしたいと思ったりもするけれど、自分のやりたいことをするための費用を捻出するために仕事はできるだけしたいし、遊びも削れないのでしょうがない。

雑誌の仕事も多いけれど、大企業の仕事もここ何年かで増えた。オウンドメディアも増えたし、書く以外の仕事もある。そしてそこにはいつもちょっとした罪悪感がある。それもこれも若い頃にパンクカルチャーに傾倒してしまったからなのだが、大企業と仕事をすることは「セルアウト」と言われた時代があったのだ。そういう風潮はずいぶん変わった。みんな、軽やかに大企業の仕事をしている。

そういえば何年か前に、軽やかに大企業の仕事をするミレニアルたちの話になったときに、同世代の友達が、何年か前にセルアウトの罪悪感を感じる必要がないという論旨を展開するためにある逸話を教えてくれた。「あるバンドがありました、アフリカで悪さをする人たちを相手に商売している銀行からCMへの楽曲使用の許諾を求める連絡がありました、けっこうな額のお金を提示されましたが、リーダーは断りました。セルアウトになりたくなかったからです。けれど、バンドのメンバーたちは怒りました。ブルックリンの一バンドに断られたくらいのことで、方針を変える可能性はきわめて低いうえに、次のバンドにお金が入るだけのことなのです。だったらお金をもらってそれで生産性に変えたほうがよっぽどいいではないですか」。私は、このエピソードをいまでも大切にしている。セルアウトしない、というのはかっこいい。が、そのかっこよさが何も生み出さないこともある。だから、「ここまでならオーケー、これ以上はだめ」というラインを持って自分のさじ加減でやるしかない。ちなみに自分のことでいうと、大きな会社の仕事をすることをセルアウトだとは思わなくなった。それどころか大企業のカルチャーのなかに自分のような人間が存在する場所があることに少し励まされたりもしているのである。

備忘録:キャリア上のセルアウトは悪じゃなくてもいい(Refinary29 UK)

 

 

 

Yumiko Sakuma