Day 342:自殺は悪いことなのか

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ザ・バッテリー(旧バッテリー・パーク)で取材をし、ききちゃんの家に寄り、アップルストアに交換に行こうとしたらMinami Kenzoさんが道の向こうから歩いてきた。しばらく立ち話したあと、半ば強引に交換の手続きに付き合ってもらい、イーストサイドまでおしゃべりしながら歩いた。夜は、フィルムメーカーの福永壮志くん(『リベリアの白い血』Out of My Hand)が遊びに来て、久しぶりにキャッチアップした。彼も新しいことに取り組んでいる。楽しみだ。

Kenzoくんとはアンソニー・ボデインの話になった。今回、彼が自殺して、私のまわりの人たちがどれだけ彼のことを愛していたかがよくわかった。 彼のことを直接知らなかったとしても、存在を近く感じていたのだろう。私はここ数日考えている「自殺は悪いことなのか」という疑問を口に出した。

残された人間たちに自殺という形のお別れが辛いのは、去った人たちを救われない気持ちで送り出してしまったという罪悪感からだ。とはいえ、多くの場合、去る人たちは、自殺を考えていることを隠そうとする。自殺の増加、というアメリカを襲う病について読んでいて、ハッピーに振る舞わない、生きたいと思わないといけないというプレッシャー人を自殺に追い込むことがあるかもしれないなと思うに至った。「人生を早くやめる」というオプションがあったとしたら、これだけ追い込まれないのではないかと。自殺を考えたことがある、という人は多い。でもそれを口に出すことにまつわる「恥(Shame)」のイメージが強い。きっと思うよりずっと多くの人が経験する感情なのだと思う。アメリカでも少しずつ尊厳死を認める州が増えている。もちろん多くの場合、不治の病にかかった場合、と限定的なものだし、人間が死の時期を選ぶというコンセプトに対しては抵抗も強い。だけどこの人生という与えられた場所から、早くドロップアウトすることはそんなに悪いことなのだろうか。少なくとも、死にたい、と思うことに対する考えを変えないと、自殺は減らないのではないだろうかと思うのです。

備忘録:ケイト・スペードとアンソニー・ボデインの死を受けて自殺を考え直す(Chicago Tribune)

 

Yumiko Sakuma