Day 341:嘘は許されるようになったのか

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二晩がっつり遊んですっかりリフレッシュしたので、ニューヨークに戻り、いい気分で心ゆくまで仕事した。

この週末、Vanity Fairに、存在しない技術をベースにして投資家を騙し、大スキャンダルになったヘルステック系スタートアップ、セラノスのCEOだったエリザベス・ホームスについての記事が出ていた。このスキャンダルいついての本が出るということで。この件については、さんざん書かれているのだが、ホームズがソシオパスだ、というところに点にはっとなった。もともとシリコン・バレーは、誇張や欺瞞があたりまえの場所であるが、それいしてもホームズの嘘のレベルはソシオパス・レベルではないかという視点である。ソシオパスと辞書でひくと社会病質者と書いてあるが、その言葉では表せないいや〜な感じがある。ソシオパスについての考察はまた改めて。

この話を読みながら私がこれまで出会った嘘つきたちのこと思い出した。嘘つきは大きくふたつに分けられる。嘘だと自覚していてつくタイプと、自分のなかではそういう話になっている、というタイプがある。バレるような小嘘をペラペラと平気でついたりするのを見ると、「現実」が違うだろうと思うのだ。

嘘つきはいつの時代にいたと思うのだが、最近は、嘘つきが世の中で大手を振って生きているどころか、世の中を動かすようになっている。この国の大統領を見ても、故郷の首相を見ても、いつからこんな嘘が受け入れられるようになったのかと呆然とする。かつて「嘘」がもっと大きな罪として咎められていたような気がするが気のせいか。日本はさておき、思い返してみれば、アメリカには「spinning」という言葉がある。政治の世界でよく使われているが、ある事象を角度を変えて話すことで印象操作することを指す。スピニングが高じて嘘がオーケーになってしまった、というのは当然の流れかもしれない。

備忘録:嘘はアメリカ社会で受け入れられるようになったのか(Patheos)

 

Yumiko Sakuma