Day 326:ペット・ロス

IMG_4600.JPG

メモリアル・ウィークエンドの始まりの日、都会を脱出する大渋滞と逆行して都会に戻ってきた。友達のバースデーやら、食事会やらがあったので。

前日、書けなかったのだが、男友達のモルモットが目を話した隙に、野生の草を食べて死んでしまった。おかしな様子で横たわっているのを発見し、診てくれる動物病院を探している間に、パタッと死んでしまった。あっという間の出来事だった。私が最後に飼った愛犬ウィスキーも、8年ほど前、友人の農園に預けていたときに道路に飛び出して車に轢かれて死んでしまったのだった。都会のペットを大自然に連れて行くことにはリスクがある。そもそも動物を都会で飼うことに無理があるのだ、ともうペットは飼うまいと誓ったことを思い出した。

飼い主の男友達とは、私がいない間に彼が私の車の面倒を見る、あちらがいない間は犬とモルモットの面倒を見るという協定を結んでいたので、ときどき面倒を見ていた。死んでしまうと辛いから愛着は持たないようにしていた。それでもやっぱり悲しくて、悲しみに暮れる男友達のそばで呆然としてしまった。シングル主義の理由のひとつは、こういう悲しみに巻き込まれたくないからなのだけれど、それでもやっぱり巻き込まれるときは巻き込まれる。おまけによくよく考えてみれば、生きるものの体を、命が去る瞬間を目撃したのは初めてで、それが自分の中のなにかを変えた気がする。まだそれを言語化することはできないけれど。

男友達は、ある意味、死に慣れている。彼が育った場所では、鬱やドラッグ中毒が深刻で、銃にも簡単にアクセスできるから自殺も尽きない。あるとき、友人の死を語る彼を見て、慣れているのだなと思ったことがある。モルモットの死に対して、同じ人間とは思えない様子で悲しんでいた。愛する息子が海外に移住してしまい、根本的な悲しみを抱えながら行きている彼にとって、モルモットは家族の一員だったのだ。

アメリカ人の68%が今、ペットを飼っているのだという。一人暮らし人口が増えて、ペットを持つことの意味が大きくなっているという。グーグルで「pet loss」を検索したら、死んだペットの写真を商品化するショッピングのリンクがトップに出てきてイラッとした。

備忘録:人間の死よりペットの死のほうが痛ましいこともある(Pupular Science)

Yumiko Sakuma