Day 215:スーパーボウルCM論評

アリゾナとニューメキシコの広大な土地をあとに、ニューヨークに戻り、東京からきていたエディター氏と深夜まで、今年夏に立ち上げようと思っているメディアのブレストをした。ディナーのあとに、寄ったバーでは、スーパーボウルが終わったところだった。

子供の頃はしょっちゅう野球の試合に行っていたけれど、大人になってからプロスポーツがだんだん好きじゃなくなった。年端もいかない子供たちも、スポーツができるとスターになれて、大金をオファーされる。アメリカン・ドリーム的な仕組みであるとともに、弊害もたくさんある。大人たちの都合で、子供たちが振り回され、プレイできなくなると捨てられる。NFLでドメバイがはびこっていたり、野球のダリル・ストロベリーやバスケのアレン・アイバーソンがプレイできなくなるのを見て、自分はもうプロの試合を見たくないと思うようになった。黒人に対する警察の暴力に対する抗議運動を始めた大スターのコリン・キャパニックがいまだにプレイできない状況を見て、げんなりしている。スーパーボウルに盛り上がる気持ちには到底なれないのだ。

とはいえ、スーパーボウルは一大イベントで、世相を反映するものではある。特に、スポンサーが全力をかけて作るというコマーシャルはそのいい例だ。ちなみに30秒のCMの放映料は500万ドルを超えたそうである。それなのに今年は30秒ほど画面が真っ暗になるという放送事故が起きた。ひえー。誰かクビになったりしたのだろうか。他人ごとながら恐ろしい。そして、制作側が力を入れて作ったCMは、早速、厳しくレビューされている(ここにすべてが出ているけれど、日本からは見えるのだろうか)。ざざっと見たけれど、アレクサの声が出なくなって、ハリウッドの大スターたちが代役を務めるAMAZONのコマーシャルとか、デヴッド・ハーバーがいろんな役で登場するTideのCMとかエンターテイメント性が高いものもあれば、食肉業界のおエライさんが嘘をついていたことを告白する急進的な動物愛護団体のPETAのCM、いろんな人種の赤ちゃんが映るなか「あなたたちが平等賃金を要求する」とナレーションが流れるT-mobileのCMのように世相を反映したものもある。どこのメディアも、あれが良かった、あれがひどかったと論評しているがなかでも「ワースト」としてボロクソに言われているのは、マルティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の声を使ったクライスラーのトラックRAMのCMである。車を売るためにキング牧師を使うんじゃねえってね。どこの世界にも、世の中のセンチメントを読み違っちゃう人がいるものである。あーあ。

備忘録:RAMのスーパーボウル広告が嫌われている理由(USA Today)

告知:デトロイト最前線のルポ、WIRED JAPANにてアップされました。

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Yumiko Sakuma