Day 209:ラリー・ナサールと謝罪の美学

たまったポッドキャストのなかに、アメリカ体操連盟でチームドクターを務めていたラリー・ナサールの裁判が題材になっているものがあって、出廷して証言した150人以上の被害者の証言のダイジェストを聞いた。子供の頃から、またはティーン時代から「治療」という名のもとに性的虐待を受けてきた女子たちの声は悲痛だけれどとてもパワフルだった。希望する被害者全員に発言のチャンスを与えたローズマリー・アキリーナ裁判長のスタイルはなんというか型破りで、「それは法廷の役割じゃない」という声もあるし、司法制度全体を見ると、量刑と被害者の声のバランスはセンシティブな問題だと思うけれど、今回のような性的犯罪の場合、被害者のヒーリングのためには役立ちそうだ。

ナサール被告は、被害者の証言が続くなか、「エモーショナルなストレス」を理由に、裁判長に証言を中止するように手紙を書いたけれど、否定された。裁判で一部が紹介されたけれど、その内容は自己弁護と、被害者を責める言葉に満ちたひどいもので、最後まで認めないんだよなあ、と思っていた。が、すべての証言が終わったあとに、ラリー・ナサールは謝罪した。絶対に非を認めない勢いだったナサールの謝罪に驚いて見てみると、たしかに「あなたたちの言葉を、残りの日々、背負っていきます」と言っているし、謝罪ではあるのだけれど、謝罪している対象が「for what has occured」(起こったこと)で、「what I did」でないことにイラッときた。

一連の#metooで指を指された人には、謝罪をした人と、がんとして否定している人がいて、ケヴィン・スペーシーのように謝罪をしたけれど、その謝罪の内容(またはトーン)含めて批判された人もいるし、CKルイスのように謝罪はおおむねポジティブに受け取られても、クビになった人もいて、そのあたりの方程式はまだ見えない。なかには謝罪して被害者が「許します」というケースも稀とはいえあって、謝ると決めたら、一切責任転嫁せずに謝るのが良いのだろうと思われる。

備忘録:どう謝るか。ラリー・ナサール、ジョージ・HW・ブッシュ、ケヴィン・スペーシーのためのガイド(iNews)

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Yumiko Sakuma