Day 201:名前変えるべきか問題

やらなければいけないことが山積みで、Outsider Art Fairに行くのを歯ぎしりしながら我慢した。夜、女友達たちと新年会の予定があって、焦らずにゆっくりしたかったから、「我慢しなければいけないこともある」と自分に言い聞かせながら。見たいものが見れないまま終わってしまうのは悔しい。

そういえば、女子が結婚したときに、名前を変えるべきかどうか、という問題について考える機会があった。フェミニズム的には、もとの名前でいいんじゃん?と思う。結婚を機に、アイデンティの一部である名前が変わる、ということに違和感を感じる。けれど、変えた場合に使う名前のほうがパンチがあったりすると、変えてもいいのかも、となる。平凡な名前が急にかっこよくなるときもあるし、相手の姓をつけたら急に平凡になる名前もある。運勢が変わるかもしれない、などとも思うが、いいほうに転ぶのか、悪いほうにいくのか。自分が結婚したときは、名前の最後に相手の苗字を足した。自分の名前はパンチが足りないなどと思っていたし、相手が望んだこともある。けれどそれによってペーパーワークや面倒なことが予想した以上に増えた。あとになって変えなくても良かったなと思った。

ポイントは、選ぶことができるというところにある。相手の名前を名乗っても、それまでの名前を使い続けても、複数の苗字を持ってもいい。けれど日本では違う。この問題については、ずっと不条理に思ってきた。サイボウズの社長の青野慶久さんが、夫婦別姓訴訟を起こしたとの報を知ったときには、男性の側からこの運動がでてきてくれたことにとても心強く思った。それにしても、別姓を制度として導入することに反対する人の気持ちがわからない。ある人にとって大切な問題がある、自分には大して問題ではない、という状況において、他者の切実な問題の解決を邪魔したい気持ちが理解できない。どうして、自分にまったく影響がないのに、どこか自分に関係のない人の権利が少し拡大されることに反対するのかまったく謎である。同性結婚に反対する人たちにも同じことを思う。

ところで調べてみると、アメリカでも、選べるからといって、自分の姓を名乗り続ける人の数はそれほど多くない。旧姓をキープする人は80年代から90年代にかけて減り、またここ10年ほどで増えてきた。それでも20%前後のようだ。そして旧姓をキープした女性のパートナーのほうがマッチョ度が低い、なんていう考察もある。人間ておもしろい。

備忘録:旧姓、再び増加中(The New York Times)

旧姓を維持する女性の夫はマッチョ度が低い(WND)

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Yumiko Sakuma