Day 195:続なぜブラックフェイスがだめなのか

羽田からLA便に乗った。隣の白人男性が自己紹介してきた。妻の名前はユミコさんで、ITのスタートアップに勤めているという。「何年か前に、もっとリスクをとってもいいんじゃないかと思うタイミングがあってね。自分には白人特権があるし」と笑う。White Privilege(白人特権)とは、白人が社会的に受けている恩恵のことだ。白人でも、それを理解している人と、理解していない人がいる。トランプを支持しているような人は、白人ばかりのエリアに住んでいて、その意味がわかっていない人や、それを体験していないタイプであることが多い。

機内で「マーシャル 法廷を変えた男」を見た。舞台は1940年代のアメリカ。のちに初の黒人最高裁判所陪席判事にまでなったサーグッド・マーシャルと、のちに公民権運動がらみの訴訟を多数担当するユダヤ系弁護士サム・フリードマンが、白人女性をレイプした容疑をかけられた黒人男性を弁護するという筋書きである。南部では黒人がリンチされたあげく木から絞首されるようなことが当たり前に起きていて、公正な裁判すら受けられなかったような時代のことだ。映画が終わってから、(マルティン・ルーサー・)キング牧師記念日だということに気がついた。

先日「なぜブラックフェイスがだめなのか」というポストを書いた。「キル・ビルがよくてブラックフェイスがだめな理由がわからない」という内容のコメントがついた。「ガングロや安室ちゃんはダメなのか」と。「キル・ビル」は日本文化へのオマージュだし、ガングロや安室ちゃんは日焼けルックで、他者の肌の色をネタにして笑うのとはまったく違う。「日本人はこれまでさんざん馬鹿にされたりネタにされたりしてきた」ともあった。そうだったとしたら、自分がやられて嫌なことをしないのが第一歩ではないか、と返信した。ましてや相手は黒人なのだ。その人は、海外経験もある人だ。正直、何を言っているんだろう、と思った。1日、黒人になって見ろよ、と思った。だけど、よく考えてみたら、そういうことは学校では教えてくれない。外からスポーツやヒップホップだけ見ていたら、この国の黒人が置かれる状況はわからないのかもしれない、と思った。だったらもっと伝える努力をしなければいけない、と。

アメリカに出て、いくつかわかったことがある。どれだけ多様な人種が暮らしていようと、白人以外はマイノリティだ。なぜならこの国の憲法やルールは白人たちが書いたものだから。人種差別の現実は、場所によって全然違う。ニューヨークに暮らすアジア人の女性である自分はかなり楽な状況に置かれているほうだと思う。ヒスパニックや黒人、中東の人たちが日常的にどんな差別にさらされているか、なんとなくわかっているような気持ちになっているけれど、それでも自分が体験するのとは全然違うのだ。最近、急に、ニューヨークに引っ越して1年目にあったことを思い出した。黒人の友達アレンとタクシーを停めようとして、なかなかタクシーが停まらない。アレンが「オレが隠れればすぐに停まるよ、見てろ」と姿を隠した。するとすぐにタクシーが私の前に停まった。アレンは腹を立てているような様子もなかった。「It is what it is(これが現実だ)」とニヤニヤしていた。現実は私が想像していたよりもずっと醜かった。

最近、若い友達にキング牧師の名前を出したら知らなかった。アメリカに奴隷として連れて来られた黒人には、長いこと自由はおろか、選挙権も教育も与えられなかった。バスも学校も人種ごとに分離されて、白人がと同じドアを使うことが許されなかった。黒人たちに同じ権利を与えようと公民権運動を率いたのがキング牧師である。そして彼の死後50年が経った今でも、丸腰の黒人が白人の警察に殺される、しかも引き金を弾いた人間が無罪放免される、というような事件が後を絶たない。

アメリカに移り住んでもうひとつわかったこと。食べ物があって職があって、暴力や戦争を身近に感じずに暮らせる場所に生まれたことは「特権」だ。いろいろ問題があったとしても、刺されたり撃たれたりする心配なしに道を歩ける場所に生まれたことは特権だ。しかもそこに生まれたのは、単なるランダムな幸運なのだ。だからこそ、自分たちが置かれた状況よりも辛い状況にたまたま生まれた人たちを笑いのネタにしたり、蔑んだり、下に見たりしてはいけない。

若い頃、もっとも影響を受けた小説のひとつに有吉佐和子の「非色」があった。戦争花嫁としてニューヨークに渡った女性が、人種問題の複雑さを肌身で体験していくという筋書きで深く深く考えさせられた。フェアの選書の仕事をしたときに、入れようとしたら、絶版になっていた。悲しい。

備忘録:キング牧師についてあなたが知らない10の事実(ホンシェルジュ)

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Yumiko Sakuma