Day 194:物の価格について考える

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東京最終日の日中は母とすごそうと決めていた。母と妹とランチを食べて、その後、百貨店をそぞろ歩いた。いつもながらに日曜日の百貨店の人出と物量に圧倒される。

アメリカのブランドの値付けを見て、ぼんやり考えていたこと。若い頃、みんな海外に行くと「海外ではブランド物が安い」と思っていた。高いはずのものが、海外では安く手に入るのだと。でもそれは違うのだ。海外のものを、日本に持ってくると、関税やら為替のヘッジやら小売店のコストやらで値段が上がる、というだけのことなのだ。ごくごく当たり前のことだけれど、「正当な値付け」というものがあるとすれば、生産地での価格のことなのだと大人になってからわかった。だから、日本にいるときは日本のものを、ニューヨークにいるときはニューヨークのものを買う。といいつつ、最近はほとんど旅先でしか買い物をしなくなった。行く先々で、その土地で作られたものを買う。日本では日本のブランドのものを買う。今回はほとんど買い物をしなかったけれど。

とはいえ、値付けとは不思議なものだ。「高いもの=良いもの」という心理もあるし、安いものには「得をした」と思わせる効果もある。高級感を出すための値付けもあるし、原価のとても安いもの(たとえばパフューム)がブランド力で高く売られる場合もある。震災のときにチャリティーセールで、来場したファッションを生業にするライターさんが、福島の職人さんが作ったハンドメイドのマグカップに40ドルの値段がついているのを見て「高いわね」と言ったのを聞いてひっくり返りそうになったことがある。なぜその値段がついているのかを理解してもらうことも大切なのだなと思った瞬間だった。ローカルで作られたもの、倫理的(エシカル)な方法で作られたものを買おう、というムーブメントが盛り上がっているけれど、そういうものは当然、大量生産のものより高い。ライフスタイルやファッションと価格の関係が、今、また再定義されようとしている気がする。

備忘録:消費者がエシカル商品の価格に敏感なのだとしたら値付けのスキームを再定義せよ(Loose Threads)

Yumiko Sakuma