Day 96:シスターフッド

朝おきて、みんなに挨拶をし、小松空港に向かった。さすがにちょいと疲れ気味で、自分はすっかり休日の気分だったけれど、前日のフリマの参加者は、みんなまた仕事に戻っていった。三連休とか関係なく。みんな仕事が趣味、というタイプだから、さすがである。私は羽田から、ファーストシーズンから応援しているニューヨークのデザイナー、Sawa Takaiの展示会に立ち寄って、その後、ちょっと遅れた母と妹の誕生日ディナーをして、最後にバースデーケーキのかわりに「タケノとおはぎ」のおはぎを食べた。

前日の日記の備忘録に使ったヒュー・ヘフナーの記事の見出しに、「sisterhood」という言葉があって、訳しづらいのでそのまま使ったことが、ずっと頭のなかに残っていた。なんだろうね、シスターフッド。女子間の連帯、って書くと、急に社会運動っぽくなってニュアンスが変わるし、女子の絆って書くとなんか陳腐に聞こえてしまう。

子供の頃、女の子が怖かった。小学校の上級くらいから、エグいいじめを目撃するようになったし、私がおいたをしたりしていると、その場では何も言わない子が、さらっと先生にチクったりする。誰かの陰口をききながら、その相手と仲良くしたりするのも怖かったし、平気で嘘をつくのも怖かった。男の子たちは「うんち」とか「でべそ」とか、くだらないことを言って笑っている。うらやましかった。そんななかでも、数少ない「親友」と呼べる人には出会ったことだけが、つくづく幸運だったと思う。

他者としての女の子が怖くなくなったのは、たぶん30すぎてからだと思う。社会に出てから、がんばっている女子に出会い、彼女たちの愛で、だんだん怖くなくなったのだと思う。そんな自分が「ピンヒールははかない」で女性の物語を書けたのは今思っても奇跡みたいなことだ。そして、「女子怖い」と腰が引けていたはずの自分を、まっすぐな愛で包んでくれた、世の中でカリスマとされる女子たちが、インスタで、表紙の写真をがんがんアップしてくれたことが、自分が予想していた以上の女性たちにこの本が届くことにつながった。なんだかんだいってエモな自分は、そういうことを考えて泣きたくなる。ときどき本当に涙が出ることもある。そういうことがシスターフッドなのだと思う。

ところで昨年、ヒラリー・クリントンが選挙に負けたことで、「シスターフッドはどこへいった」的な議論が、いまだにうごめいている。私のなかで「トランプが選挙に勝ったこと」と「ヒラリーが負けたこと」は微妙に違う。「女性への扱いがダメな男」を勝たせないために団結できなかった(トランプに投票した女性が衝撃的なほど存在した)」ことは残念だけど、「女性であるヒラリー・クリントンを大統領するために団結できなかった」ことを「シスターフッドの敗北」とされるとイラッとするのである。なぜなら残念なことにヒラリー・クリントンはシスターフッドの象徴ではないから。「女性同士はみな味方」はシスターフッドではない。ただの幻想である。そしてヒラリー・クリントンが、自分に投票しなかった女性がいる理由を「夫のプレッシャー」と分析してるのを見て、本当にわかってないとがっかりした。今起きている深刻な問題から関心をそらす結果にしかなっていないので、そろそろ黙ってほしいものである。

備忘録:ヒラリー・クリントンはシスターフッドにたどり着いたのがおそすぎた

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Yumiko Sakuma