Day 19:DIYの助成金
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午後の撮影の前に近所でランチを調達しようとしたときに、近所のDIYスペース<マジック・シティ>を通りかかったら、オーナーのリッチがコンブチャを作っていた。このスペースはもともとリッチがコンブチャを作るために、そして他の食の作り手も使える共同キッチンとして開いたけれど、フロントの部分をイベントスペースとして運営している。しばらく運営が苦しそうだったリッチは「助成金をゲットしたんだ」と喜んでいた。ニューメキシコ州にあるアート団体<ミアオ・ウルフ>が、全米に散らばる複数のDIYスペースを援助するために創設した基金の対象に選ばれたのだという。

調べてみると、2016年の年末にオークランドのDIYスペース<ゴースト・シップ>で大規模な火災があって、36人が亡くなった事件を受けて、この基金は開設された。悲劇のあとに、地味にこういうことが起きていたのか。とはいえ、<ミアオ・ウルフ>だってDIYスペースだ。どうしてそんなお金が?とさらに調べてみると、<ゲーム・オブ・スローン>のジョージRRマーティンが投資家として参加していた。アートや音楽を育む場所をサポートするお金はいろいろなところから流れているのだった。

夜は、大雨のなか<ブルックリン・ボウル>にデイブ・ハリントンのインプロ・バンドを見に行った。友達の羽鳥美保ちゃんが参加していたので。日本から帰ってきてからしばらく音楽を見に行けてなかったから。

備忘録:ミアオ・ウルフ、DIYスペースのための助成基金を開設

Yumiko Sakuma
Day 18:Defiance(抵抗)

レッドアイ(夜行)の便でニューヨークに戻り、そのまま打ち合わせ、撮影に突入した。仕事を終えてヘロヘロな状態で乗った車の中で、ジョーイこと伊藤穰一さんのブログポストを読んだ。

今年3月にマサチューセッツ工科大学(MIT)のメディア・ラボで行われたカンファレンスに行った。エドワード・スノーデンが中継でオープニングのスピーチをした後、ジョーイは「ディファイアンス(抵抗)賞」創設の発表した。かつてアカデミアは、権力に抵抗する場所だった。それがいつのまにかそうではなくなっていた。だからこの賞を設けることにした、と。そして、今日はその賞の受賞者の発表の日だったのだ。お知らせがあったときに招待状を受取り、「出席」の返事をしたはいいが、結局、ニューヨークの仕事に戻るために出席できなかった。

7800件以上あったという応募のなかから受賞者に選ばれたのは、ミシガン州フリントの水道汚染問題のリサーチを行い、問題の発覚の一助となったサイエンティストであり、アクティビストであるモナ・ハンナ・アティーシャ博士とマーク・エドワーズ教授の二人組だった。発表に際してジョーイが書いた文章を読みながら、権力に対して、アカデミアや市民ができることの重要性について改めて考えた。

備忘録:メディア・ラボ抵抗賞の受賞者発表

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Day 17:インタビュー屋
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一時、自分のことを「インタビュー屋」と言っていたことがある。依頼がくる仕事の大半がインタビューだったからだ。インタビューの仕事の大半は、インタビューする、ということと、原稿を書く、ということがセットになっている。文章を書く仕事をしているけれど、実際に「書く」作業は、「聞く」という作業に比べたら、そんなに好きじゃない。人の人生の話を聞くときが一番わくわくするから。今回のLAの仕事は「聞く」部分だけだった。インタビューが得意、ということで、まにだけれど、音や動画のために質問をする、そんな依頼があるのだ。ストーリー・テリングが、広告やブランディングの世界でも重要なツールになってきたから。

「聞く」だけの仕事は「書く」とセットになった仕事に比べたら、それはラクである。だから「ちょっとラッキー」くらいな気持ちで仕事に就いた。けれど、今日、子供時代からの苦境を乗り越えてきたサブジェクトのそれはそれはインスパイリングなインタビューをしたあとに、帰途に着きながら、少し寂しい気持ちになっている自分に気がついた。考えてみると、自分が彼の話を聞いてこみ上げてきた気持ちを「伝える」作業をすることができないからだった。ずっと「書くという作業は辛い」と思ってきた自分の心情に変化が起きたことに、自分も少し驚いている。だからまたいつか、彼にインタビューして、自分で原稿を書くぞ。

備忘録:我々の経済の未来はストーリーテラーたちにかかっている。

Yumiko Sakuma
Day 16:LAの高級化

L.A.にいるときにはジャディーンの家にステイすることが多い。ホテルは苦手だし、スタイリストの彼女とは、お互いの家を使っていいという協定を結んでいるから。そして、お互い、いつも仕事に振り回されているけれど、なんとかやりくりして一緒に過ごす少しの時間が貴重だから。L.A.に住んでいるけれど、ジャディーンは歩くのが好きだ。徒歩圏内にランドリーやカフェがあるレアなロケーションに住んでいる。仕事を終えたあと、夕方、ジャディーンと散歩に出た。「私のカーサ・ヴィラが大変なことになってるの」という。「私のカーサ・ヴィラ」は、ジャディーンの家の前の丘を上っていったところにあった門つきの豪邸で、もう長いこと廃屋になっていたが、ついに取り壊しが始まっていた。彼女はL.A.の美しい夕景をバックに、この家を眺めるのが好きだったのだ。「きっとここもコンドミニアムになるのね」とため息をつくので、「L.A.に大移動するニューヨーカーたちのせいでね」と軽口で返した。L.A.が盛り上がりはじめてから、いろんなコミュニティができて、ジャディーンの友達にも、元ニューヨーカーがたくさんいる。それを喜ばしく思っている彼女の気持ちを知っているから。それでも自分の風景が急速に変わるのは切ない、その気持ちが痛いほどわかるから、軽いことにしたかったのだ。

備忘録:L.A.は全米でもっとも手が届きづらい住宅市場。そして価格はどんどん上昇中

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Day 15: カリフォルニアにて

早朝のフライトでLAに入り、そのまま仕事をした。仕事が終わると、LAでは日常的な夕方の渋滞に巻き込まれた。自然な流れで、映画の世界に入るためにカンザスからLAにやってきた、という若い運転手とおしゃべりをする。ニューヨークに20年住んでいるというと、「他の場所に住むことを考えることはないの?」と聞かれた。「いつも頭のどこかで考えているけれど、東京で育って、そのあとニューヨークにきたから、そのふたつをtopする(上回る)場所を見つけるのは難しい」と答えた。すると運転手くんが「Maybe the idea isn't to top it」(もしかしたら「上回る」とは違う考え方をするべきなのかもしれないよ)と言った。教えられた。今以上のものを、という考え方を、そろそろ自分もするべきなのかもしれない。

備忘録:アメリカで一番渋滞がひどい都市

Yumiko Sakuma
Day 14: 夏の風物詩

メンズ・ファッション・ウィークが終わると、マーケット・ウィークが始まる。FUJITOの藤戸くん、F/CEのさとしくん、nerdy'sのあくっちゃん、Beamsのたかさん・・・という具合に次々とやってくるメンズの関係者とビールを飲むのが季節の風物詩っぽくなっているのだが、「ブルックリンに行こうか?」と言われるとさらにうれしい。さすがにグリーンポイントにきてもらうのは気が引けるので、ウィリアムズバーグで。どれだけジェントリフィケーションの波がやってきても、どれだけ渋滞がひどくなっても、メローな場所、メローな時間帯がある(少なくとも今のところは)。屋上、特に花柄のワンピースを着ている女子がわんさかいるような屋上は避ける。公共交通機関からはちょっと離れていて、話をするのに邪魔にならない音量で音楽が流れているところ場所がいい。そして川のほうから流れてくる風を感じながら、安いアメリカのビールを呑む。至福とはこのことだ。

あくっちゃんが「ねーねの弱いところが垣間見れてよかった」と「ピンヒールははかない」の感想を聞かせてくれた。どれだけ強いと思われているんだろうか、と苦笑い。

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Day 13:「死の真実」運動
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朝起きてニューヨーク・タイムスを広げたら、「THE LAWYER THE ADDICT」という記事がサンデー・ビジネス面の一面に掲載されていた。弁護士の元夫がオーヴァードーズで亡くなったあとに、彼の長年のドラッグ依存を知った元妻による悲痛な手記だった。アメリカの痛み止めといった処方箋ドラッグへの依存症の人口は200万人以上と言われていて、最終的にはヘロインなどの非合法ドラッグに手を出すケースも多く、もうわりと長いこと深刻な社会問題になってはいるけれど、このように高キャリア、高学歴で成功している層も例外ではないわりに、なかなかこういうことが語られるチャンスはない。けれど今、これまで恥とされてきたことを、あえて語る必要がある、という空気感が出てきている。先日も人気テレビ番組「True Blood」の俳優ネルサン・エリスが亡くなったのだが、遺族はあえて、「他者を助ける訓戒になるように」と彼のアルコールやドラッグへの依存を公表したという。社会の暗部を恥とせずに、あえて話し合っていこう、というムーブメントはある意味、アメリカらしい。同時に、オープンに話しあうことが必要になるくらい大きなクライシスになっているという意味かもしれない。

備忘録:「死における真実」ムーブメントを歓迎しよう

Yumiko Sakuma
Day 12: The Defiant Ones

HBO「The Defiant Ones」をまとめて見た。Beats by Dre で大成功したDr. Dreとジミー・アイオヴァンを題材に、そこにたどり着くまでの人生を並行して見せていくドキュメンタリーである。同時に、NWAからマリリン・マンソン、Death Rowレコードがらみの争いまで、近代音楽史の大ヒット作品や大事件の裏側が垣間見えたりもする。4回のシリーズなのだが、消化しきれないほどの情報量であった。

こういう歴史を辿る作品を見ると、自分の人生とつい重ねてしまう。90年代のヒップホップはそれはそれはアツくて、しかもアメリカにきて最初の2年はヒップホップをそのまま風景にしたような街に住んだこともあり、それはそれは夢中になったものではあるが、ヒップホップがコマーシャル化が激化していく間、自分はアンチ成功、アンチ野望の方向に行ったので、その過程でヒップホップから遠ざかったことを思い出した。

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Yumiko Sakuma
Day 11: 喪失
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しばらく会ってなかったサラに仕事の用事で連絡し、数ヶ月前にお父さんを亡くしていたことを知った。それに続くテキストのやりとりのなかで、彼女が言ったことのひとつが印象に残った。

「みんないつか死ぬんだってわかっていたけど、本当にはわかっていなかったと思うし、今もよくわからない。死を理解できていたら、人生のバカバカしいことにかかずりあわないでいられるって思うけど」

何度、喪失を経験しても、死のことは理解できない。そういえば、友達のじゃいこちゃんに教えてもらって「Dying to know」という映画を見た。サイケデリックスの研究に人生をかけたティモシー・リアリーと、サイケデリックスの世界からスピリチュアルの世界に転向したラム・ダスの友情の物語である。そのなかで「死」の概念からの解放を説き、喪失を体験した人々のカウンセラーを務めるラム・ダスの言葉に感銘を受けた。

「人は喪失を体験すると、悲痛の期間を通過するけれど、それが終わると、死者を自分に近く感じることができる」それはきっと本当だ。この半年の間に、3度、喪失を体験した今だったら信じることができる気がする。

夜、大人のバスケの試合に出かけた。某カルチャー・アイコンにポートレートを撮りたいと言ったら、バスケの試合にこいよと言われたから。金曜の夜、公立学校のジムで行われたバスケの試合は想像以上にガチなやつだった。遊びも本気でやらないとね。いつ死んでしまうかわからないから。

備忘録:スタンフォード大学の数学者でフィールズ賞メダリストであるマリアム・ミズラハニさん死去

 

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Day 10: We Can Do It!

あまりに疲れていたので前夜は居間のカウチで寝てしまい、朝起きて仰天した。ベッドルームの天井の4分の1が落ちて、私が寝ていたはずの場所に、でかいコンクリの塊が横たわっている。持ってみるとけっこうな重みだ。そういえばうとうとしていたときに、大きなバーンという音が聞こえたのをうっすら覚えている。うちのなかから発せられた音だとは認識したし、一瞬、なんじゃ?と思ったけれど、そのまま何も音がしなかったので、半寝の頭で「強盗ではない」と考えてそのまま寝てしまったのだった。ベッドで寝ていたらどうなっていたか、考えたらぞっとした。

コンクリと粉でいっぱいになったフロアを見て呆然としたが、そういえばこの間酔っ払っていたときにちりとりを壊してしまっていた。仕事の帰りにちりとりを買ってこよう、と、とりあえず取材に出かけて、夕方帰宅してから掃除にかかった。女の一人暮らしが辛いのはこういうときだ。幸い、管理人さんのマーブも田舎の家にいってしまって不在なので、一人でやるしかない。バンダナで口元を覆い、思い出すのは「We can do it」のスローガンである。「できる、できる」と唱えていたら、掃除はあっという間に終わってしまった。その間、いろんな人から「手伝おうか?」と連絡があり、ひとりで処理できたから処理してしまったけれど、「We can do it」の「we」に勇気を得た。

スローガンの出処は、たまに友達のお母さん宅の冷蔵庫などで見かける、フェミニズムのアイコンである。今まで深く考えたこともなかったが、そういえば、と調べてみたら、意外な歴史が判明した。戦時中に工場で働いていた女性の写真をイラストにおこしたものを、政府がプロパガンダ用のポスターに使っていたというお話だ。すっかり見慣れたフェミニズムの象徴の起源はフェミニズムではなかったのだ。思っていたことがそうではない、ということは想像以上によくおこる。

備忘録:「リベット工のロージー」は女性権利拡大の偽アイコン

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Day 9: キャッチアップの重要性

フリーマンズの卒業生で今はトレーナーをやっているリキ・ブライアントとワークアウトし、セックス・マガジンのアッシャー、キンフォークのライアン・カーネイ、ワイス・ホテルのアンドリュー・ターロウを立て続けに訪ねた。いつも新しいことを考え続けている人たちと会うことが「仕事」になったことに、いまだに驚くことがある。そして人と会話をするという作業が、街を肌で感じることにつながると同時に、ここにいなかった時間によって生まれた根無し草のような感覚を癒やしてくれる。

午後はウィリー・チャバリアのショーに行った。会場になったチェルシーのゲイ・クラブは、アメリカン国旗とメキシカン・アメリカンのアイコンで装飾されていた。ウィリーと知り合って何年になるだろうか。見るごとに、政治色、ゲイ色、メキシカン・アメリカンとしてのアイデンティティがどんどん強くなっていく。これもこういう時代の副産物だ。

備忘録:CFDAがニューヨーク・メンズ・ファッション・ウィークでプランド・パレントフッドとパートナーシップ

貧困層の女性に婦人科検診や中絶を供給するプランド・パレントフッドは、新政府からの助成金削減で危機にさらされている。ファッション業界がメンズのイベントにあわせてパートナーシップを発表したことは象徴的だ。

Yumiko Sakuma
Day 8: 社会復帰1日め

日本から帰ってくると必ず1日か2日はあるゾンビ状態からようやく抜け出し、戻って3日に社会復帰した。世間ではメンズウィークが始まっていて、N.Hoolywoodのショー(なぜか無音になっちゃった)へ。こんな時代に、ニューヨークのファッションの現場で、日本人デザイナーがアメリカを表現するーーちょっと想像しただけで恐ろしい難題のように思えるが、強烈なドラム・ソロに叫びのようなアメリカ国歌がかぶさり、アメリカの歴史からのリファレンスを新しいフォルムで表現するコレクションには、明確なステイトメントがあった。

ショーのあとには、デビッド・ズゥイナーであと何日かだけ開催しているフェリックス・ゴンザレス・トレス展に駆け込んだあと、ザ・キッチンで行われたマイケル・ズワックのメモリアルに出かけた。マイケルは、私がニカラグアにいた5月5日、この世を去った。

マイケル・ズワックとはグレースの紹介で会った。ニューヨークにきたばかりの頃、私のまわりに親のような機能を果たす大人たちがいたように、グレースのまわりにいたのがマイケルだった。50年代、シンディ・シャーマンやロバート・ロンゴとともにニューヨーク州バッファローからニューヨーク・シティに上京し、その頃のダウンタウンのアーティスト・シーンのなかで、ひとつの台風の目となる緩やかなグループ(のちに「ザ・ピクチャーズ・ジェネレーション」と呼ばれた)を形成した。いっときは有名ギャラリーがつき、飛ぶような勢いで作品を作っていたこともある。けれどいつしかギャラリー・ビジネスに嫌気を催し、ギャラリーと別れ、放浪を始める。

会ったのは、マイケルが放浪からニューヨークに帰ってきて何年か経った頃だった。某出版社が出してくれることになっていたが頓挫したインタビュー集のためにインタビューしたときは、アート界とはまったく切り離されていて、観光バスのガイドなどバイトをしながら創作を続けていた。ギャラリーが向こうからやってこないことに感じる怒りやフラストレーションを口にすることもあったけれど、アートのことは強く信じていた。そのときのインタビューを見つけたのでアーカイブに入れておきました。

ここのところ、親しい死が続いたから、めっぽう弱くなっているのだが、今日のメモリアルは、マイケルの年齢(67歳だった)や亡くなってから時間が経っていることもあって、少しの涙と笑いあふれる温かい会だった。

強くのぞんでいたアート界でのカムバックはかなわなかったけれど、ハイチで地震が起きたあと妻ミシェルと娘のカティアをニューヨークに呼び寄せてからはとても幸せそうだった。マイケルの作品が正当に評価されるように努力をすることが、残された友人たちの務めなのだと思う。

一人の友人がスピーチで言った「マイケルに教えられたこと」。他の誰も進むことができない道を行け、他人が否定できないものを作れ。私も大切なことを教わったと思った。

メモリアルで配られた小冊子の裏側に、マイケルの言葉が入っていた。「自らは行かないような世界に人々を誘いだしたい。モラルの世界、ヒューマニティの世界、すべてが存在意義を持つ可能性で鳴り響く場所、すべてが生きていて、現実を否定することが難しい世界に」

備忘録:もともとピクチャーズ世代とともに語られた画家マイケル・ズワック、67歳で亡くなる。

2009年にメトロポリタン美術館で行われたグループ展「The Pictures Generation」から。

2009年にメトロポリタン美術館で行われたグループ展「The Pictures Generation」から。

Yumiko Sakuma
Day 7: 裏庭で始まった取り壊し
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同じビルの地階に住むマーヴと立ち話をしていたら、向かいの一軒家に住むクリスが通りかかった。クリスは、「ヒップな生活革命」にも登場したネイバーで、リーマンショックの影響でリストラされた妻のベスと一緒に、チーズとビールの店<イースタン・ディストリクト>を営んでいたが、ついに店を手放したという。

1ヶ月ほど前だったろうか、店に寄ると、クリスが「言わなきゃいけないことがある。店を売りに出してるんだ」と言った。「この店をできたことはよかったし、いい経験になった。この店が僕たちの生活も支えてる。でも僕ら、いつも働いている。少ない利益を少しでも大きくするために、二人のどちらかがいつも店に出てるんだ」

きっかけになったのはクリスたちの店の向かいに立ち並んでいた(そして私のキッチンからその背面が見えていた)ビル群が売られたことだ。1ブロックの大半を占める一連の低層ビルは、ジョセフという富豪が所有していて、そのうちひとつが家具の店として使われ、少人数のテナントが住んでいる以外は、もう長い間、ただ漫然とそこに存在していた。近隣住民の間では、ジョセフには特にお金もうけをする必要がないからだ、ということになっていた。それがついに売られてしまい、私が日本に帰っている間に取り壊し作業が始まっていた。そして、それとほぼおなじタイミングで、クリスとベスは店の買い手を見つけた。

ニューヨークに永遠はない。うちのキッチンの窓から見えたクライスラー・ビルの姿も、きっともうすぐ見えなくなってしまうのだろう。グリーンポイントのアパートの窓から、クライスラー・ビルが2017年まで見えたことが奇跡なのだ。

どんどん新しいビルが建っていき、高い家賃を払う住民たちが流入してくる。ジェントリフィケーション(高級化)というやつだ。それはニューヨークの現実の一部で、仕方のないことである。自分自身も、新しい動きについて書くことで生計を立てているのだから、怒る立場にもない。それにしても、グリーンポイントからの公共交通機関は相変わらず酷くて、高い家賃を払ってグリーンポイントから通勤する人たちには頭が下がる。

備忘録:<調査>地下鉄の遅れが通勤客の家庭や仕事生活に影響を及ぼしている

Yumiko Sakuma
Day 6: 大統領弾劾の行方

これだけ頻繁にドナルド・トランプ大統領問題のニュース・アラートが鳴ると、感覚は徐々に、でも確実に麻痺していき、ついつい「またか」と片付けてしまいそうになる自分がいる。しかも情勢がめまぐるしく変わるので追うだけでも精一杯だ。今日は、昨年6月に、息子のトランプ・ジュニアが、「ヒラリー・クリントンについての悪い情報をもっている」、ロシア政府はトランプ陣営を応援している、という前提で、ロシア政府と関係する弁護士と会っていたというニュースが飛び込んできた。何度も本人も、報道官も、大統領本人も否定してきたことである。ロシア政府と「結託」していた可能性が濃いこと、その件について司法妨害をした可能性が高いことは、十分弾劾に値することのように見えて、事態はなかなか進まない。そもそも下院で共和党が多数を維持している限り、現実に弾劾のプロセスが始まることは現実的ではないし、民主党のなかには、トランプを弾劾して、マイク・ペンス副大統領が大統領になることを恐れる声もあるから、次の中間選挙で情勢が変わらない限り、何かが急に動くことはなさそうである。その間、ずっとこのニュースを追わないといけないことを想像しただけで暗澹たる気持ちになる。

備忘録:ロバート・ライシュによるトランプ弾劾の5つの根拠

5月終わりのロジャー・ウォーターズのライブから。

5月終わりのロジャー・ウォーターズのライブから。

Yumiko Sakuma